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起業して失敗した僕は立ち直った

人は愛することで幸せになる

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はじめに

「自分は誰からも愛されていない」と感じたことがある人は、(誰からも愛されていないということが本当かどうかはさておき) 少なからずいるだろう。

「愛されない」という状態は、ほとんどのにとって、心に痛みを感じる辛い状態だ。

中には、家族、友人、同僚、クラスメイトなどと人間関係がうまくいかなくて、「自分はこの世で必要とされていない」「自分なんていなくなっちゃえばいい」と思い詰めた人もいるかもしれない。

だけど、たとえ愛されることで幸せを感じても、その幸せは長続きしないものだ。詳しくは下の章で述べるけれど、心の底から「幸せだ」と感じて、その状態が長く続くのは、「愛されたとき」ではなくて、「愛したとき」なのだ。

このことは、恋愛だけでなく、家族に対する愛、友人に対する愛、そのほか身の回りの人や物事など、何に対しても当てはまる。

もし、誰かに愛されて幸せになりたかったら、「愛される」のを待つのではなく、今すぐにその人の事を「愛す」べきだ。

「愛されれば幸せ」は違う

「愛されれば幸せだ」と考えている人は多い。

恋愛中の人は特に、「あの人から愛されたら幸せだ」と考えてしまうものだ。

だけど、愛されることで得た「幸せ」は、残念ながら長続きしない。愛されることで得た「幸せ」は、往々にして何かしらの欠乏感を埋めることによって生じた感情だからだ。

自分自身をちょっと振り返って考えてみてほしい。

たとえば、恋人がいる人は、その人と付き合っていることで、ちょっとした優越感とか、安心感とかを得ていないだろうか。片思い中の人は、その人から連絡が来ないと不安になったり、他の異性と話をしていると落ち着かなくなったりしないだろうか。

こういう優越感や安心感といった感情は、自分の何かしらの欠乏感 (たとえば「自分は認められていない」とか「自分は必要とされていない」とか「自分には必要なものが十分にない」とか思う感情) から生じた感情だ。

そして、こういう感情が心の深いところにある状態で、相手のことを「愛している」といっても、それは欠乏感を埋めるために得ようとしている愛なのだ。

 

それで、だ。

話を進めて、仮に恋が実って、君が相手から愛されたとしよう。

 

君は大好きな人から愛されて、とても幸せに思うだろう。

だけど、こういうこと、つまり欠乏感を埋めたことで幸せを感じても、その幸せは長続きしない。

なぜなら、心は欠乏していることを新たに探し出してきて、それが満たされない現在の状態に対して、自分は「幸せじゃない」と感じてしまうからだ

 

欠乏感を埋めるための愛から脱却できれば人生が変わる

僕がこのことを強く実感するようになったのは、下で紹介するセドナメソッド (詳しくは 「」を読んでほしい) をやってみてからだ。

 

僕は起業に失敗して、ほとんど全ての物を失ったことがある。詳しくは、はじめに を読んでほしいのだけれど、あのとき、僕は友人も、恋人も、仕事も、お金も、住むところも失った。僕は人生どん底にいた。

あのころ、僕は自分の周りが敵だらけのように思えてしょうがなかった。もちろん、自分にも非があるのは知っていた。そして日々発生する嫌な出来事は、自分で乗り越えなければならないことだというのは頭では分かっていた。だけど、それでも「あの担当者があのときああしていれば、自分はこんな目に遭わないで済んだ」とか「あの担当者は僕がこんなに困っているのに知らないふりをしている」とか、そういうふうに思っていた。

そんなとき、僕はセドナメソッドに出会った。

直感で「やってみるべきだ」と思った僕は、webでセドナメソッドの事をいろいろ調べてみた。

そのとき、偶然WEBで見つけて読んだのが、セドナメソッドをつくったレスター氏の体験について書いた、"メソッド発見に至る自己探求の旅"だった。(リンクが開けない場合「メソッド発見に至る自己探求の旅」でググってみよう)

レスターは、怒りなどのありとあらゆる感情を手放し、その感情を愛の感情に変えることができたという。

 

僕もレスターのように怒りを愛の感情に変えることができるか?愛の感情とまではいかなくても、少なくとも怒りの感情を手放すことができるか?

半信半疑ながらも、僕は本を買って実践してみた。

 

 

 

今ではよくわかるけれど、効果はてきめんだった。

 

僕はそのころを境に変わっていった。

 

敵のように感じていた周囲の人間を、僕は少しずつ愛することができるようになった。

いままで特に何も感じていなかった周囲の人間にも、僕は愛の感情を持てるようになった。

人間だけでなく、動物や植物や身の回りの物にも愛おしいと思う感情が生まれてきた。

 

この変化で僕自身がびっくりしたことは、自分が置かれた状況に関係なく、自分は幸せだと思えるようになったことだ。しかも、その幸せと思う感情が、これまでになく強く長く続くのだ。

そして、なぜか、物事が自分でも驚くくらいスムーズに運ぶようになり、願うことがつぎつぎと叶っていく。

おそらく、引き寄せの法則がうまく作用するようになったんだと思う。

詳しくは、すでに書いた「僕がおすすめする2冊の本 (その1) - 『ザ・シークレット』ロンダ・バーン(著)」と「僕がおすすめする2冊の本 (その2) - 『新版 人生を変える一番シンプルな方法 ― セドナメソッド ―』ヘイル・ドゥオスキン(著)」に譲るけれど、僕は周囲の人から見放され、あんなにお金で苦労していたのに、今では恋人に恵まれ、お金の心配から解放され、信じられないくらい穏やかで平和で幸せな毎日を過ごせるようになった。

もちろん、今でも時には周りの人にイライラすることもある。そんなとき、僕はセドナメソッドでイライラの感情を手放すようにする。

すると、僕はさっきまでその人に対してすごくイライラしていたのに、その人の事を愛おしいとすら思う感情が湧いてくる。(こう書くと何となく気持ち悪いが、でもそういう感情が実際に湧く)

そして、あたたかく、落ち着いた「幸せ」という感情に包まれるのだ。

不思議な事に、たとえ嫌な事をされても、それを愛おしいと思う感情に満たされる。

 

僕はこの経験を通して確信した。人は、愛されるときではなく、愛したときに、幸せを感じるものなのだ。

 

愛する幸せを体験してみよう

セドナメソッドをまだ試したことが無い人のために、愛の感情を生じさせる方法を簡単に紹介しよう。

 

ちなみに、「私は、彼の事を愛している。愛することなんて知っている」と思っている人は、その愛が何かしらの欠乏感に基づいたものじゃないか、自分の心をじっくり観察してみよう。その恋人と付き合うことで、ちょっとした自慢や安心感を得ているなら、それは欠乏感から生じている感情だ。ぜひ下で紹介する方法を試して、彼の存在そのものに愛を感じてみよう。

 

もしくは、もしまだその「愛している」人と付き合えていないなら、その相手に対して、連絡がこない焦りとか、他の異性と話をしていて落ち着かない気分になったりとか、そういうことがないか振り返ってみよう。もしそういうことがあるならば、やはりそれは「愛」じゃない。

(ちなみに、本当にその恋人に「愛」を感じているなら、その恋人のことをゆったりと包み込むような気持ちになるはずだ。)

 

さて、さっそく始めてみよう。

 

やり方を説明するのは簡単だけれど、実際やってみるとなかなか難しい。下に書くでうまくできなかったら、本を買ってじっくり取り組んでみることをお勧めする。(僕はこの本を一生手元に置いておく価値がある本だと思っている)

 

(ステップ1) まず、恋人がいる人はその恋人の事を、片思いの人はその片思いの人の事を、特に決まった相手がいないなら、家族とか、友人とか、上司とか、周りの人の事を思い浮かべよう。

 

(ステップ2) そして、その人の事を考えた時、自分にどんな感情が生じるか、自分の内面をじっくり観察し、その感情を感じ取ろう。このとき、頭で感情を語ってはダメだ。たとえば、「好きな人の事を思い浮かべているんだから、好きという感情のはず」と考えるのはNGだ。自分の心が何を感じているのか、それをキャッチするのだ。

このとき感じている感情は、一つだけじゃないかもしれない。特にセドナメソッドを始めたばかりの人、あるいは初めてこういうワークに取り組む人は、いろいろな感情がもつれ合って、なかなか一つの感情として捉えることができないかもしれない。

そういうときは、まず一番感じやすい感情を感じ取ろう。

ここで感じ取った感情は、不安という感情かもしれない、悲しみという感情かもしれない、恐怖という感情だったりもするだろう。自分でも思いも寄らないネガティブな感情が出てきても、その感情を否定してはいけない。その感情を感じきるのだ。

人によっては、この段階でその感情がふわっと消える(溶解するような感覚だ)。もし消えないようなら、次のステップ3に移ろう。

 

(ステップ3) 自分の心に、「私はこの感情を手放す?」と聞こう。アホ臭いと思っても、自分の心に聞こう。そして、必ず「手放す」と答えるのだ。心が抵抗しても、とりあえず「手放す」と答えよう。

 

(ステップ4) そうしたら、すかさずまた自分の心に「いつ?」と聞こう。バカらしいと思っても、自分の心に聞こう。そして、必ず「いま」と答えるのだ。心が抵抗しても、とりあえず「いま」と答えるのだ。

 

そして、そのとき、感情が自分から剥がれ落ちていく様子をイメージするのだ。

 

そうして、また(ステップ2)に戻って自分の感情を感じ取ろう。

 

もし、まだ何か感情が残っているなら、(ステップ3)と(ステップ4)を繰り返す。

 

そうして、感情が生じなくなるまで、(ステップ2)と(ステップ3)と(ステップ4)を繰り返すのだ。

 

ときに、心は不思議なもので、自分自身にすら自分の感情を隠そうとしたり、手放すのを抵抗したりする。そんな時でも、根気よくこのワークを続けていると、感情がきれいに無くなっていく。(もちろん、行き詰ったら小休止を入れてもいいだろう)

 

そして、感情が綺麗に取りされたとき、きっとこれまでに感じたことのないような不思議な力強いエネルギーを感じることになるだろう。

それは甘美で、温かい、静かで、平和な、包み込むような、でも、とてつもなく力強いエネルギーだ。

 

このエネルギーを感じられれば、その時すぐに気が付くと思うが、この感情こそ、愛の感情だ。

 

今回は、自分の周りの人を対象にやってみたが、これは何にでも使える。道をすれ違った相手や、テレビの向こうの政治家や、過去の出来事や、自分自身や、動物や、植物や、自分の部屋や、洋服や、とにかく、自分に何らかの感情を生じさせるものすべてを対象にこのワークができる。

 

そして、感情を取り去れば取り去るほど、自分の深いところに存在する愛の感情が現れてきて、至福としかいいようがない気持ちに包まれる。

 

おわりに

愛されれば幸せだと思い、愛を求める人は多い。だけど、本当の幸せは、愛された時ではなく、愛したときに感じるものだ。

 

この記事で紹介したセドナメソッドは、引き寄せの法則で夢や目標を実現させようとするときよく使われている。僕も、このセドナメソッドのおかげでネガティブな感情をだいぶ手放すことができるようになり、いろいろな願い事を叶えられるようになった。

でも、もちろん、願い事が叶うようになったこともよかったけれど、でもそれ以上に、愛を知ったこと、愛することで深い幸せを知ったこと、そのことが何よりよかったし、そのことについて僕は人生で最も尊いものを手に入れたと感じている。

(「ザ・シークレット」のAmazonのレビューで「(セドナメソッドによって) この完全なる平穏な心を得られたことが何億のお金以上の価値があります。」書いていた人がいたけれど、僕も本当にそう思う。)

 

もし、愛しているのに幸せじゃない、愛しているのに辛いと感じているなら、その愛が欠乏感にもとづいたものじゃないか、じっくり自分の心を観察してみよう。そして、セドナメソッドで浮かび上がる感情を次々と手放していくのだ。

 

そのとき、きっとこれまで経験したことが無いほどの至福を感じるだろう。

 

それは、自分がいまどんな状況にあったとしても、得られる感情だ。

 

人の心の奥底には、愛が備わっている。それが自分の中に現れ出てきたとき、人は本当の幸せを感じることができるようになるのだ。

 

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