もうダメだと思ったときに読むブログ

起業して失敗した僕は立ち直った

会社が末期のころの僕の仕事と生活

更新日:

 

このブログを読んでいる人の中には、これから起業したいと思いつつも、「失敗するのが怖い」とか、「失敗したらどうなるんだろう」と不安に思っている人がいると思う。

僕が経験したことは、そんな人に少し役立つかもしれないから、少し紹介しようと思う。

失敗イコール倒産・自己破産ではない

ちょっと驚く人もいるかもしれないけれど、事業の失敗がすぐに会社の倒産や自己破産に結び付くわけではない。

手形の不渡りを出すとか、自ら裁判所に法的整理手続きの申し立てをしない限り、赤字が続いても会社としては存続する。

僕の会社は、起業以来ほとんど売上をあげることができなかった。どんなに切りつめても利益なんか出るわけがなく、債務超過に陥った。

でも、僕の会社は倒産していない。倒産の手続きには多額の費用と時間がかかるし、僕はすぐに会社を立て直せると考えていたから、倒産させなかった。

債務超過なのに会社を存続させることができるのかと疑問に思う人もいるかもしれない。あくまで僕の会社のケースだけれど、銀行からの借入金はきちんと返済ができていていたので、問題になることはなかった。借入金の金額が法人としては多くなかったし、信用保証協会の保証もあったせいだと思う。きちんと返済している分には、銀行は何も言ってこなかった。もっとも、最終的には信用保証協会に代位弁済をお願いすることになったけれど。(このことはいずれ記事にきちんとまとめようと思う)

いずれにせよ、僕の会社はいまほとんど売り上げが上がっていないけれど、法人としてまだ存続している。(きちんと法人事業税も法人住民税も払っている)。

「あきらめずに続けるのが大事」の罠

 

僕は「あきらめずに続けるのが大事」という話が好きだったし、たくさん本で読んだり話を聞いてきたから「諦めなければいつかは成功する」と安直に考えていた。

だから、客観的に冷静に考えれば会社の再興が絶望的な状態になっていても、僕は長いこと粘っていた。

僕はこのころ、肉体的にも精神的にも辛い時期を過ごすことになるのだが、その原因の一つは事業の引き際を間違えたせいだと思っている。

当たり前な事だけれど、諦めなければどんなことでも成功するわけではない。

特に、僕みたいに目的がどんどんズレてやり方を間違えた場合、成功は絶望的だと思う。(僕の目的は事業を成功させることだったはずなのに、いつの間にか、1日でも長く会社を続けることが目的になってしまっていた。。)

「無理なものは無理、そういうものもある」とどこかで割り切らないといけないと思う。

そうでないと、事業資産も、体力も、精神力も、無駄に消耗してしまう。

 

もうダメだと思いつつも、取り組んだこと

とりあえず、そのころの僕がそのころやってた事を覚えている範囲で紹介していこうと思う。

・売上げにつながることを探しまくった

僕は当初計画していた事業を始めることができなかった。

まさか、そこでつまづくとは思わなかったのだが、サービスそのものになるはずだったWebシステムの開発に失敗してしまったのだ。

サラリーマンだったころ、僕は大手のSIerの会社で働いていたから、システム開発には自信があった。開発側の立場でトラブルをみてきたから、自分は彼らと同じ失敗をしないよう、かなり注意を払って準備を進めてきた。

複雑なシステムじゃなかったから、「こんなんで失敗するはずはないだろう」と、たかをくくっていたのがいけなかったのかもしれない。

システムが、出来上がらなかった。。

開発を外部の会社にお願いしたのだが、お金をとられるだけとられて、システムはゴミ同然となってしまった。

残ったのは、多額の借入金だ。

真っ青になったけれど、もうどうしようもない。僕は、お金になりそうなことを探しまくった。

代替サービスの提供

はじめのうちは、システムで行おうとしていたサービスに近いものを、静的なホームページで実現できないかと試行錯誤した。

ホームページ作成の知識は多少あったし、再度外注するほどのお金はもう無かったから、自分で作成することにした。

当然、時間がかかる割には、お客さんからお金をとれるレベルのものはできあがらない。

それでも、将来的にお客さんになってもらえればいいと割り切って、毎日ページの作成にたくさんの時間をかけ、無料で提供してみたりしたけれど、結局それを有償化させることはできなかった。

サラリーマン時代の仕事で副業

ちょうどこのころ、前職でお世話になった先輩が独立した。

非常な優秀なビジネスマンだったが、人遣いが荒いので部下が誰も寄りつかなかった。

そのためだと思う。彼は独立したけれど、前の職場の人は誰も彼についていかなかった (実力がある人が独立する際、部下がついていくのが当たり前の業種だったから、これは結構めずらしいケースなのだ)。そんなんだから、彼も自分の下で働いてくれる人を探していた。僕は、彼から仕事を貰った。

彼は、そのころの僕にとってはありがたいほどの報酬をくれた。でも、徹夜が常態化するほど仕事はハードだった。もしその分野でずっと勝負していこうと考えていたのならいいのだと思うけれど、残念ながらその仕事は僕の会社とは事業内容が違い過ぎたので、自分はここに依存すべきでないなと思っていた。

とはいえ、仕事を断ると収入が途絶えてしまうから、依頼があったときはとにかく心を無にしてこなしていた。

仕事はハードでも、毎日仕事があるわけじゃないから、半年くらいは続けたと思う。

でも、やっぱり本業とは何のかかわりもない分野のことに時間を使うのはやめたほうがいいと思ったから、その後の依頼はやんわりと断ることにした。

海外での新規事業立ち上げ

そんな中、どこで知り合った人だったか覚えていないのだけれど、海外で新規事業を立ち上げる計画があるから、参加しないかと声がかかった。

話を聞いてみると、まあまあ僕の会社と親和性のある事業だったから、引き受けることにした。もちろん、収益をあげられる事業が僕の会社に必要だったという理由も一つだ。

ただ、こういう話を貰っても、サラリーマンとは違うから手弁当で参加することになる。報酬なんて出ないし、交通費はもちろん自腹だ。新規事業の立上げに成功すればお金になるし、成功しなければキャッシュを失っておしまいになる。

僕は、ここに賭けてみることにした。新規事業が成功すればそこを伸ばして、失敗したら自分は全ての事業を放棄してサラリーマンになろうと決めた。

夜間アルバイト

情けないことに、僕は社長なのに自分の生活費すら稼げなかった。

だから、僕はアルバイトを始めた。

始めのうちは近所の飲食店の夜間シフトに入った。時給1000円くらいだったと思う。平日は週3日で1日あたり2~4時間、週末は1日あたり6時間くらい働いたと思う。週20日働いて、7万円くらいは稼いでいた。

たったの7万円だったけれど、そのころはお金が自分に全く入ってこない生活が続いていたから、ここで給料をもらった時には涙が出そうになるくらい嬉しかった。

その後、僕はもう少し効率よく稼ごうと思い、飲み屋で働くことにした。週5回シフトに入って、遅いときは深夜3時ごろまで働いた。

マンガ喫茶でシャワー

こういう風に、夜アルバイトして、昼間に自分の会社の仕事をするという生活が続いた。

もはや、自分の会社の仕事なんてそんなにあるわけじゃなかったけれど、それでも少しはやらなきゃならないことがあったから、当然、徹夜なんて頻繁にある。

早朝に打合せが入ったときなんかは、バイト先から直接行ったりもしていた。もちろん、洋服や髪の毛に変なにおいがついているから、途中でマンガ喫茶に寄ってシャワーを浴びてから会議に行くこともあった。家に帰ると時間のロスになるし、なにより眠くて朝起きられなくなることが怖かったのだ。

とにかく、お金を得るために必死だった。

一日の食費の予算は300円

日常の生活では、削れるところはとことん削った。

一日の食費の予算は300円にした。

一日当たりの食費が300円ということは、1食あたりの予算は100円になる。

僕のマンションの1階には100円ローソンがあったから、普段の食事はそこで計算しながら食材を調達して食べていた。

そのころの僕がよく食べていたのは、100円で売っていた食パンだ。計算したことがある人はわかると思うけれど、お米と食パンを比べると、食パンの方が10円あたりで得られるエネルギーが多い。10円あたりで得られるエネルギーが多いということは、それだけ安く必要なエネルギーをまかなえることを意味する。僕の主食は長いことずっと食パンにになった。

一方で、野菜は食べなくなる。野菜は値段の割にカロリーが低い。つまり、エネルギーの摂取効率が悪いのだ。野菜は贅沢品だと、つくづく思った。

当然、エアコンなし

もちろん、夏も冬もエアコンはつけなかった。

暑いときは、洗い桶に水を汲んで、足を浸しながら仕事をした。どんなに暑くてもクーラーはつけなかったから、パソコンが熱暴走したときもある。だから、濡れたタオルでパソコンのウラを頻繁に拭いて冷やしながら作業したりもした。

寒いときは、電気カイロを抱えながら、室内でコートを着ながら仕事をした。

引越し

こういう生活をしていても、お金がまともに入ってこないから、家賃が払えなくなる日がもう目前に迫っていた。ホームレスになるか、実家に戻るかという状況だ。僕はそれまで、都心へのアクセスのいいところに住んでいたから、できればそこに住み続けたかった。けれど、僕は郊外にある実家に一時的に住まわせてもらうことにした。

親は喜んだけれど、こういう形で実家に戻ることになり、僕は複雑な気持ちでいた。

なぜこういう生活をしてまで事業を存続させようとしたのか

こういう生活を続けてまで事業を続けたのは、その事業に若者特有の青臭い使命感を感じていたからだと思う。

今考えると理想論過ぎてビジネスマンとしてはダメダメだと思うけれど、「僕は世界を変える」「僕は世界を変えるために生きている」と本気で思っていた。

あとは、「諦めずに続けるのが肝心」という精神論にも影響された結果だろう。

とにかく、(いま振り返るとアホみたいだけれど)、「諦めずに続けて成功した偉大な起業家」みたいなストーリーを勝手に作って、自分はそうなろうとしていた。(自分では意識していなかったけれど、それを演じようとしていた部分もあるのかもしれない。だから、「成功」そのものじゃなくて「あきらめないこと」が目的になってしまったのだろう。)。

心の病気

だけど、こういった無理を続けていると、心が病んでくる。

はじめにに書いたような自殺願望にとりつかれ始めたのもこの頃だ。

暇さえあれば、自殺サイトばかりを眺めるようになった。

自殺グッズをどこでどう仕入れて、どこでどういうふうに死ぬかを考えるようになった。

会社を延命させようとしていた割には、僕は将来に絶望していた。失ったお金、仕事、キャリアのことや、売上が上がらない自分の会社の現状を見つめては、自分自信を激しく否定していた。「自分はダメな人間だ」、「自分には生きている価値がない」、「もう死んで終わりにしたい」、そう思っていた。

今振り返れば大失敗だと思うのだけれど、僕はこのタイミングでは心の病院に行かなかった。

自分でも自分は病んでいるとは思っていたけれど、不思議なことに心の病気を治すという発想がなかった。このまま死んでしまいたい、としか思わなかった。

この状態からいまの僕(はじめに)になれたのは、このブログにも書いている潜在意識の法則を知ったからだ。(もし、いまあのころの僕と同じように事業で失敗して辛い思いをしているなら、僕がおすすめする2冊の本 (その1) - 『ザ・シークレット』ロンダ・バーン(著)を読んでみよう)

とにかくこの頃は肉体的にも精神的にも辛かったけれど、この頃を境に、僕の人生は上向いていった。

再就職を決めた日

結局、上で書いた新規事業は、途中で行き詰ってしまった。アジアの新興国における新規事業だったんだけれど、現地法人で働いてくれる人材が見つからなかった。

見つかるまでもう少し粘るという手もあったけれど、経済的に残された時間はほとんどなかった。

僕はその時決めた。

再就職しようと。

少し遅すぎた決断だったと思う。

なぜなら、僕はサラリーマンという形でだけれど、再就職することによって、自分の人生をどんどん良いものにすることができたからだ。

もう少し早く再就職していれば、経済的にも精神的にも余裕が出来て、再起業もはやくできただろうと反省している。

一度サラリーマンに戻ってから、再度起業するのが許される環境なら、そうしてもいいと思う。

起業して成功するための方法は、いくらでもあるのだから。

-僕が失敗から立ち直るまで
-,

Copyright© 起業して失敗した僕は立ち直った , 2022 All Rights Reserved Powered by STINGER.