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起業して失敗した僕は立ち直った

何のために生きているのか?と疑問に思っている人へ

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「目的を持って生きるべきだ」とよく言うけれど、その目的がいまいちよくわからないと思っている人は僕だけじゃないと思う。

「いい大学に入ること」「いい会社に就職すること」「立派に働くこと」を目的に真面目に頑張って生きてきたって、いずれ死ぬ。

「幸せに生きること」とちょっと抽象的な事を目的にして生きてみても、一体何が幸せなのかわからないうえに、やっぱりいずれ死ぬ。

「どうせ死ぬのに、なぜ生きるんだ?」という疑問の答えを探してみても、腑に落ちるような解はなかなか見つからない。

「何のために生きているのかわからない」

「何のために生きているのかわからない」「人生の目的って何だろう」という疑問に、本質を突くような答えを言える人ってほとんどいない。

たいてい、「幸せになるため」とか「魂の修行のため」とか、わかるようなわからないような答えではぐらかされる。

こういう生と死に関わる哲学的な問いは、その人の宗教観に依る部分も大きいからかもしれない。

僕は事業に失敗して何もかも失って自殺まで考えていたとき (このあたりの事は「はじめに」に書いた通りだ)、「これ以上生きてて何の意味があるんだろう」「僕の人生は何だったのか」「僕は何のために生まれてきたのだろう」といつも考えていた。

納得のいく答えを見つけるため、いろいろ本を読んだしネットでも探してみた。

だけど、もっともだと思う答えは結局見つからなかった。

僕たちは、いろんなことを経験するために生きている

その後、僕がある程度明確で自分が納得する答えを得られたのは、このサイトでおなじみの下の2冊の本を読んでからだ。

僕がおすすめする2冊の本 (その1) - 『ザ・シークレット』ロンダ・バーン(著)

僕がおすすめする2冊の本 (その2) - 『新版 人生を変える一番シンプルな方法 ― セドナメソッド ―』ヘイル・ドゥオスキン(著)

あとひとつ付け加えるとすれば、2冊目の本の「セドナメソッド」を生みだしたレスターという人が、どのようにして「セドナメソッド」を生みだしたかについて書いた下の記事だ。

メソッド発見に至る自己探求の旅

http://mallam.oh.land.to/Mindtech/index.php?%27%27%A5%E1%A5%BD%A5%C3%A5%C9%C8%AF%B8%AB%A4%CB%BB%EA%A4%EB%BC%AB%B8%CA%C3%B5%B5%E1%A4%CE%CE%B9%27%27

※サイトの読み込みエラーになることが多いので、上のリンクから開けなかったら「メソッド発見に至る自己探求の旅」をキーワード検索して欲しい。

 

僕はこの二冊の本と一つのサイトを読んで、さらにバシャールとかエイブラハム・ヒックスなんかのセッション動画をYouTubeで観て(バシャールとかエイブラハム・ヒックスって何だよ、と思う人はググってYouTubeを観てみよう)、僕なりにこの世界を次のようにとらえるようになった。

・僕たちは一人一人肉体を持っていてあたかも別々に離れているように見えるけれど、根っこの部分ではつながっている。

※みんながみんなこういう考えを持っているとは思わないし、ましてやこの考えが絶対の唯一の正しい解だとも思わないので、読んでいて「ちょっと違うな~」と思う人はスルーしてもらって全然かまわない。(とくに、どちらかというと仏教的な世界観を持っている人には納得できない点が多いと思う・・・。)

 

「僕たちは根っこの部分でつながっている」というのは、たとえばフォークとか自分の身体を想像するとわかりやすいかと思う。

フォークは柄の部分は一つだけれど、先端に行くと分かれている。先端からみれば両隣は全く別の存在に見えるけれど、でも柄の部分はつながっている。

同じように、自分の身体は一つだけれど、手があり、足があり、鼻とか耳とかいろんなパーツがある。それぞれは全く別のものだけれど、自分の身体の一部だ。

同様に、僕たちは一人一人は別々の肉体を持った人間だけれど、見えない根っこの部分でつながっている。

そのつながっている先 (つまりフォークで言えば柄の部分だし、身体でいえば自分) は何なのかというと、僕らが「神」と呼んだり、あるいは「大いなる存在」とか「意識体」とか呼んでいる部分なのだ。

ちょっと宗教っぽい話でごめんよ。でも、僕はこういう理解をしてから人生がだいぶ楽になったので続けさせてほしい。

で。

僕たちは、全体で一つ。

すなわち、僕が嬉しいとか、楽しいとか、幸せだとか、あるいは、辛いとか、悲しいとか、しんどいとか感じる経験は、僕だけが経験していることじゃなくて、僕を通して全体が、さらに僕らが「神」とか「大いなる存在」とか「意識体」と呼んでいる存在が経験していることなんだ。

つまり、僕たちがいろいろなことを経験すれば経験するほど、神様と呼ばれる部分を含む僕たち全体の経験となっていく。

楽しいことも嬉しいことも、辛いことも悲しいことも、経験すればするほどそれが僕たち全体がその経験を通してどんどん豊かになっていく。

そうすると、僕たちがこの世に生まれてきた目的 (言い換えれば、神様が僕たちをこの世に送り出した目的) がちょっと見えてくる。

僕たちは、一人一人がそれぞれこの世でいい事や嫌な事を含めていろいろな事を経験するために生きている。僕たち全体が豊かになるために。

かといって、何かをしなきゃならないわけじゃない

とはいっても、「何かすごいことに取り組んで、貢献しなきゃいけない」と意気込む必要はない。

そのことを理解するために、今度は指を例に考えてみよう。

例えば、僕たちは指先を怪我してその指を使えなくなったとしても、それだけで指をいらないと切ってしまう人はいない。

僕たちは、怪我した指をいたわり、できるだけ残そうとする。

たとえ怪我して使えなくなってしまった指でも、あればそれだけでいいのだ。

それと同じことで、僕たちは「何かすごいことに取り組んで、貢献しなきゃいけない」とか「自分に与えられた役割 (指でいえばキーボードを打つこととか) を果たさなきゃいけない」と意気込む必要はない。

ちょっとびっくりするかもしれないけれど、僕たちはここに存在するだけでいいのだ。

僕たちはただここに存在するだけで、いろいろ経験し、様々な事を感じている。そして、その経験や感じたことというのは、十人十色で一人一人異なる。どのような経験であれ、感情であれ、そのオリジナルな経験や感情は全体の豊かさにつながっていくのだ。

 

僕たちはただ存在するだけで意味がある。

 

話は脇道にちょっと逸れるけれど、怪我した指のたとえが出てきたからもう少し付け加えて話をさせてほしい。

もしかしたら、このブログを読んでいる人の中には、人生でとても大変な思いをして、幾度となく生きることを諦めようとしたことがある人がいるかもしれない。

そういう人は、よく覚えていてほしい。

例えば、指を怪我して皮膚が破れて血が出てしまったとき、僕たちは心配してその指が早く治るようケアするだろう。

それと同じように、君がひどい状況に追い詰められて、傷ついてボロボロになったとき、神様を含めた僕たち全体は君の事を心底心配している。

決して見捨てることはない。

万一自殺なんかしたら (指先の例で言うと、自ら壊死することに相当するだろう)、僕たちは神様を含めてみな悲しむだろう。どうして治すことができず、大切な一部を失ってしまったのかと。

自殺しちゃいけないと僕たちが本能的に考えるのはこんなことが理由だと思うし、また自殺しようとしている人を周囲の人たちが何とか思いとどまらせようとするのも、同じようにこのことが理由かもしれない。

辛いこと、悲しいこと、苦しいことを怖がらなくていい

当たり前だけれど、僕たちは辛いこと、悲しいこと、苦しいことをできるだけ避けようとする。

「人は幸せになるために生まれてくる」と言う人までいる。

あたかも、辛いとか、悲しいとか、苦しいとかいう状態は悪い状態で、そういう状態から逃げ出さなければいけない、そういう状態でいることは人生の失敗といった具合だ。

 

だけど、辛いとか、悲しいとか、苦しいといったネガティブな状態は、あえて避けなくてもいい。

なぜなら、こういった状態は僕たちがこの世で肉体を持っているからこそ経験しているのであって、死んで肉体が無くなれば、もはやこういう経験をすることが無くなる。

 

だから、そういった意味で辛いとか、悲しいとか、苦しいという経験をしているなら、「生きているからこその経験」と受け入れて、それを味わおう。

そういうネガティブな経験だって、神様を含めた僕たち全体の豊かさにつながっていく。

 

大丈夫、上で書いたように僕たちは守られている。よんど大変な窮地に陥っても、求めれば何とかんるものだ。

どうしたら、何とかなるの?どうして、何とかなるの?と思う人は、下の記事で紹介している『ザ・シークレット』を読もう。

僕がおすすめする2冊の本 (その1) - 『ザ・シークレット』ロンダ・バーン(著)

まとめ

僕たちは大きな宇宙の一部だ。

この世界ではみんなそれぞれ別の肉体をもっていて、それぞれ別の存在に感じるけれど、僕たちは目に見えないところでつながっている。

君も僕も、「神様」とか「大いなる存在」とか「意識体」と呼ばれている部分もつながっているから、僕たちそれぞれのいろいろな経験は僕たち全体の経験として蓄積され、全体の豊かさにつながっていく。

いいことも。悪いことも。楽しい経験も、辛い経験も。

僕たちはみんなそんな存在の一部なのだ。

 

辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、そんな経験を怖がらなくていい。

ポジティブな経験はもちろん、嫌になっちゃうくらい辛い経験でも、「神様」とか「大いなる存在」とか「意識体」と呼ばれている存在は、僕たちを通じてあらゆることを経験できることを喜んでいる。

なぜなら、それは肉体をもって生きている時にしか経験できない事だから。

 

心配しないでほしい。辛いときでもどんなときでも、僕たちは守られている。

僕たちは、手や足を怪我したら、心配して必死に治そうとする。

全体をなしている他の人も、「神様」とか「大いなる存在」とか「意識体」存在も、僕たちが傷ついてボロボロになっていたら、心配になるし、ケアしてくれる。

悲しい、辛い、苦しい、焦りといった感情で潰れそうになっていても、絶望する必要はない。

 

僕たちはただ存在するだけでいい。

ただ存在するだけでも、いいことや悪いことをいろいろ経験する。

君がそういういろいろな経験をすることだけで、僕たち全体は喜んでいるんだ。

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